稲取灯台の歴史

稲取の史跡稲取灯台の写真である。恥ずかしながら伊豆の来て初めて行ってみた。
それがどんな灯台でどんな歴史があるのかはまったく知らずに行ってみた。
現地に行く途中看板を頼りに行ってみたんだけど正直おいおいこんなとこにホントにあんの?って思ったりして。
なぜなら入り口には民家があり一見まるで民家の庭に侵入していくような感覚になるからだ。
さらに現地につくと手前に民家らしき建物があり、まじで?という感覚に陥るのでし。よく見るとそこは資料館という看板とともに刺繍
(どうやら民芸品らしい)も展示されてるようである。
未確認だが人も住んでいる雰囲気だ。その奥に灯台はあった。
説明文が書かれていてそれを読んでなんとなく感動的な気分にはなった。
以下、説明文をかみ砕いたもの。
元々は1843年、白田村の品川屋清四郎が当時稲取岬に気づいた砲台の信号施設として置いた、 のろし台の番人として来住した時、洋上を航行する船の為に設立した灯明台が元祖らしい。
明治42年(1909)年稲取の漁家が細々と積み立てしたお金800円を投じ、 マントル式石油燃照装置を取り付けるという当時としては新式の灯台を建設した。
このマントル式の運営には正規の有資格者が必要となり、当時17才の萩原すげさんが資格取得し、日本初の女性灯台守として着任し、 昭和20年9月までの37年間、点灯を続けた。構造:石造り6角形・漆喰塗り・マントル式石油燃照手動点滅。
海面からの高さ:128.2m 台座からの高さ3.3m
説明を読み感慨深いものがあった。彼女は37年もの間、この灯台を点灯し続け、漁船の安全を守ってきたのである。 17才の少女が54才になるまで人々の為に・・・・。
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